めん長州の思い出は私の父との特別なうどん屋体験

私の父、末森巌人は1977年にめん長州を開店しました。十数年営業を続けてから年齢などの問題から廃業しました。今から45年以上前のことでさすがに半世紀も近いのであいまいな記憶しか残っていません。そこで父との思い出を作文風に書いてみました。

私は子供の頃、父と一緒にめん長州に行った。そのうどん屋は私たちの家から歩いて数分のところにあり、私たちの特別な場所だった。父はいつも仕事が忙しくて時間に余裕がなかったが、休日になると必ず私を連れてめん長州に行ってくれた。

私たちはいつも一番乗りで店に入り、カウンター席に座った。そこから私たちは目の前でうどんが手早く作られる様子を見ることができた。めん長州のうどんは特別だった。独島な風味を感じるうどんはコシがあり、つるっとした食感がたまらなかった。

私たちはいつも「ざるうどん」と「かけうどん」を注文した。父はいつも大盛りを頼み、私は小さな胃袋ながらも必死で食べた。食事の後は、父がいつものように「おごりだよ」と笑って言った。

私は恥ずかしがりながらも、その優しい気持ちに心が温かくなった。私たちはいつも満足そうに店を出て、家に帰った。今でも父とのめん長州での思い出は忘れられない。そのうどん屋は現在も営業しているが、父は亡くなってしまった。

しかし、私はいつも父と一緒にめん長州にいるような気持ちでそのうどんを食べることができる。

さて現在の「長州」について調査してみた。独自の調査なので間違っているかもしれませんが、半世紀前に始まった出来事なのであらかじめご了承をいただきたい。

現在は広島の五日市で「めん長州」広島の向原で「ラーメン長州」が運営を続けておられます。ラーメン長州について、2014年頃の開店であり、その前は「フジグラン高陽」で営業をしていた、と記述があったので私の記憶に間違いはない。

ただし「ラーメン長州」での飲食はしておらず、父の味がそのまま生かされているのか? 分かりません。ネット上のラーメン等の写真を見ると全くの別物に見えるので現在のご主人が独自に開発されたラーメンだと推測します。

一方の五日市の「めん長州」には一度だけ訪ねたことがあります。頼んだのは瓶ビールとラーメンです。一口すすった瞬間に父の味を思い出しました。多少はアレンジされているのでしょうが、ベースは父の味でした。

身分を明かさずに話を聞きましたが、なぜ広島なのに長州の名前であるのか、明確な答えは返ってきません。また高陽店との関連も聞いてみましたがこちらも明確な返事はありませんでした。

もう40年以上前の話ですので本人も正確な話は忘れているのかも知れません。又は他店の話をするのが嫌なのかもしれません。もっとも40年以上も経営されているので確かな味を守って地道にめん長州を営んできたのでしょう。

拓夢書房の先駆者1962年生まれのウェブマスター

1962年生まれ、Webサイト制作が本業の私が、拓夢書房のWebサイト制作についてお話します。私がどのような思いをもって自分の夢を切り開いたのか? この理想を追い求めている書店がどのような方法で私の夢となったのかについてもお話します。

私がこの業界に足を踏み入れたのは1999年で、インターネットがまだあまり普及していない時代でした。新しい技術革新とその世界がもたらす可能性に対して興味を持った私はWeb開発に自分の将来を捧げることに決めました。

以来、個人的な趣味サイトだけでなく広告収入を得ることが出来るウェブサイトを完成させたり実際に依頼主の商品販売につながるサイトを立ち上げたり、さらには多くの企業や団体(もちろん個人事業主も含めて)のWebサイト制作に携わってきましたが、拓夢書房のWebサイト開発は特別な挑戦でした。

拓夢書房の創業者からウェブサイトの制作を依頼されたとき、私はすぐにこのプロジェクトに惹かれました。拓夢書房は本を通して人々の夢を育むという素晴らしい理念を持っていました。私自身1962年生まれなので、伝統的な本の価値を理解し、それらを現代のテクノロジーと組み合わせることに興奮していました。

私の仕事は、拓夢書房のウェブサイトを作成し、それを通じて本を全国、さらには世界中の読者に届けることでした。このプロジェクトを通じて、自分のスキルを発揮すると同時に、拓夢書房の価値を広める役割を果たすことができたのではないかと自負しております。

ウェブサイトの作成は、新しい技術を導入するのが目的ではなく、ユーザーの知らない情報を提供し、結果として自社サービスや商品の販売、あるいは個々の人とつながることも意味します。そこで拓夢書房のウェブサイト開発では、使いやすいデザインと直感的なナビゲーションを取り入れました。

その結果でしょう、ウェブサイトの完成以来、拓夢書房が販売している数々の書籍は幅広い読者に届くようになりました。その姿を見て私は一人でも多くの人の夢の開拓に貢献できたと感じています。

私は1962年生まれで初めてコンピューター関係する機械に触ったのは高校生の時でした。簡単な文字を入力するだけの作業でしたが、それが後になってPCに対する興味を増大させる結果につながっていたと思います。

ところがその後は別の道を歩むことになりPCに対する知識が増える事はありませんでした。そして20世紀が終る頃、不思議な縁があってWebサイト制作が私の本業となり、経験を積むことにより拓夢書房のような素晴らしいプロジェクトに携わることが出来ました。

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